工藤公康

背番号81 一軍監督

  • ご存知「公康ぅ」。ふさふさ髪とどんぐりまなこが特徴。
  • 前監督と違い、試合中のリアクションが大きいことから「ファンのおじさん」「ファンおじ」と呼ばれることも。ただし、自他ともに課す練習のハードさには定評がある。
  • 1981年夏の甲子園でノーノーを達成した年、ドラフト6巡目指名を受けて名古屋電気高等学校(現:愛知工業大学名電高等学校)から西武に入団。
  • 西武に入団した当時、球団関係者から目と口の感じがアニメ「カリメロ」の主人公に似ていると、「カリメロ君」という名前で呼ばれていた。そのエピソードがラジオで報じられたことからファンからも「カリメロ」と呼ばれていた。
  • NPB史上初の全13球団(近鉄含む)から勝ち星を挙げた投手。また、投手では史上唯一セパ両リーグでのゴールデングラブ賞受賞者。2016年に野球殿堂入りを果たした。


選手時代


  • ナベQこと渡辺久信氏らと共に西武黄金時代の柱としてチームを支えた。
  • 1995年、FA権を行使して福岡ダイエーホークスに移籍。活躍の傍ら、城島を正捕手に育て上げるなど球団になくてはならない人だったが2000年、再びFA権を行使して読売ジャイアンツに移籍。2004年に200勝(とプロ入り初HR)を達成し、名球会入りした。2007年に門倉健の人的保障として、横浜ベイスターズに移籍。「ハマのおじさん」として同年の巨人戦で勝利投手となり全球団勝利+13球団勝利(近鉄バファローズと東北楽天ゴールデンイーグルスに勝利)を達成。2010年には16年ぶりに古巣西武に復帰するも、同年秋に戦力外通告を受けた。2011年に引退。引退後は「熱闘甲子園」などに出演。野球評論家、解説者などを務めた。


監督時代


  • 秋山監督の勇退を受け、その後を引き継いでホークスの一軍監督に就任することが決まった。当初は就任にあたり王会長の象徴的な番号「89」を背負うとも報道されたが、秋山が着用していた「81」を継承すると発表した。
  • 就任一年目でホークスを日本一連覇に導くと、オフには正力松太郎賞を受賞した。選手・監督としての受賞は王会長、前年の秋山元監督に引き続き、史上三人目の快挙。


エピソード


  • 好きな食べ物はわらび餅。
  • 誕生日は5月5日で、4日誕生日の真砂と6日誕生日の高田に挟まれている。
  • 2男3女と大家族で、息子の工藤阿須加は俳優、娘の遥加はプロゴルファーをしている。家族仲が大変仲良く、何かあるとすぐ家族会議をするほか、単身赴任状態の父親を案じて家族が交代で福岡を訪れるほどである。ちなみに2014年5月24日に西武ドームで行われた埼玉西武ライオンズ対東京ヤクルトスワローズ戦では、阿須加が父の現役時代と同じ背番号「47」が入った西武のユニフォームを着用して始球式を行った。
  • ハムの栗山英樹監督とは仲が良く、番組で共演した際には「でしょお?公康ぅ」などと喋りかけられている場面が放映された。
  • 所属していたチーム(西武、ダイエー、巨人)で優勝させた実績を持つことから「優勝請負人」という通称を持つ。
  • 愛知大会連続無失点記録を持っていたが、その後その記録は愛知県豊川高校に在籍していた森福によって更新された。
  • 現役時代の服の趣味がちょっとアレなことで知られる。
  • ネーミングセンスも独特で、森くんを「ヨシボーイ」、牧原を「マキマキ」と呼んでいる。
  • 藤井将雄とは戦友であり、公私ともに親しく、藤井が急逝した際にはシーズン中であるにも関わらずスーツ姿で葬儀に参列し、ダイエーホークスのユニフォームを着た選手らと共に棺をかついでいる。本人は藤井の病状を詳しく知らされておらず、「本当のことを知っていたらFA移籍はなかったかもしれない」と後に語っている。奇しくも2000年の日本シリーズで投げ合うことになった若田部と工藤は、それぞれのポケットに藤井の遺骨を忍ばせてマウンドに上がり投げ合った。
  • 現役晩年こそ打ちこまれることが多かったものの、2016年に開催された名球界セパ対抗戦ではブルペンで100球投げたり、120km/hを出すなどやっぱり前監督同様に何かおかしい様子。
(2018年の巨人とのOB戦では最速134キロを出した。)


背番号について


  • 背番号「47」を計26年間付け続けており、工藤の監督により「47」は左腕エースの背番号として定着。ホークスでもかつて杉内が着用していた。また、西武時代の後輩であるほあっさんは入団以来何度も背番号「47」を付けたいと球団に訴え2006年にようやく着用が認められたらしい。そして2009年オフに工藤が再び西武に復帰した際に、背番号を帆足が譲ろうとするもこれを固辞して「55」を選んだ。
  • 背番号「55」を選んだ理由として、ダイエー時代のチームメイトであり、仲の良かった藤井が生前に着用していた背番号「15」を意識し、「彼の5番が入るのでいいと思う。彼の分も野球を続けていこう、と心に決めていた」と語った。また、「子供たちから『イケイケゴーゴー』だと言われたし、自分の誕生日も5月5日なので」とも語っている。