中原恵司
背番号10 外野手
- 2009年ドラフト4巡目指名で入団。
- ウィキによると元々姓は「下平」であったが、母方の姓である「中原」を残すため、養子縁組のち「中原」姓となったとのこと。チームメイトに同じく「中原」がいたため、こちらは「中原恵」、向こうを「中原大」と記された。また、「KG」と表記されることも。
- 亜細亜大出身で、当時の監督曰く、飛ばす力は同大の先輩である松田以上。
- 燕・畠山のように片足を高く上げる独特のバッティングフォーム(藤本博史命名「カマキリ打法」)が特徴で、アレンには「真似できないね」と言われている。
- 1軍経験はまだないものの、2011年オフにオーストラリアへ海外修行へ。
- 同行した橘内コーチによる「オーストラリア奮闘記」にて、カンガルーと一体化しているところを写真におさめられる。アレッ、どっちが中原?
- 肩が強いようで、2012年ファーム日本選手権でも存分にアピールした。ただし捕手・田上が捕逸ry
- 2012年オフに再び、二保・かやまんと共に武者修行へ。オールスターに選出されたばかりか、ドタキャンによって急遽四番をつとめたりした。
- 2013年オフに球団から戦力外通告を受ける。その後は以前海外修業した縁もあり、しばらくプエルトリコで武者修行を続けていたが、やがて帰国。しばらくしてからファンに現役引退を報告&福岡で「世直し居酒屋 えぇじゃないか」を開いた。福岡にお越しの際は寄ってみてはいかが。
エピソード
- 松田や東浜、高田はそれぞれ亜細亜大学時代の先輩、後輩にあたる。また、カープの菊池涼介は武蔵工大二高(現:東京都市大学塩尻高等学校)の後輩にあたる。
- トゥーシェンによると「冷蔵庫にいつも生ハムが入っている」らしい。
- 大学の卒業式では、近郊のホテルに宿泊しておきながら見事寝坊。扉が閉め切られていたため、卒業式に出席出来ず、式が終わるまで外で待つことになったとのこと。以上のエピソードを同輩である中日のぶーちゃんこと中田亮二に暴露される。ちなみに、ぶーちゃんとは日米大学野球で4番5番を打った間柄でもある。
- 愛称の「KG」は、ウインターリーグでkurano-sanの洗礼をうけたため。 クララは結構気に入ってるらしい。
- 戦力外通告を受けて海外修業に旅立った際には、たまたま滞在時間が重なったため、球団から既にプエルトリコに派遣されていた福ちゃんに空港まで迎えに来てもらっていた。
最終更新:2014年10月16日 01:08