数百体の怪物を中に閉じ込めたまま固まった氷の床。
黒い刺だらけの有機質の壁にとりつけられた、亡霊のように青く光る電燈。
洞窟めいた砂岩質の天井には、巨大な何かの足跡が遺されていた。
奥からはこの世の物とは思えない、おどろおどろしくも幻想的な音楽が響いていた。
陽太は音のする方へ、一歩一歩、足元を確かめながら歩いていた。
その手には彼の能力《リイマジネーション》で創り出された、長さ1メートル程の巨大な焼き串が握られていた。
中東の料理シシュケバブは、彼が生み出せる「食べ物」の中では最も強靭な武器を伴う代物だった。
「大丈夫。俺は死なない」
陽太は自分を励ますように心の中で呟いた。
心臓が強く脈打っていた。
大気は塩気と甘味を含んでべたつき、ぞっとするような不穏な気配で満たされていた。
先へ進むとやがて視界が開け、壮麗なホールが陽太を包み込んだ。
足元には黄金の草原が広がり、春の花の香りが来訪者を迎えた。
外周を水晶、琥珀、青銅、玉髄、硫黄、トルコ石……各々異なる素材で作られた20本余りの玲瓏な柱がぐるりと取り囲んでいた。
頭の遥か上を幾つもの惑星や恒星が禍々しい光を放ちながら静かに周回していた。天井は高く、蒼黒く霞んで一番上まで見通す事はできなかった。
そのホールの中央、一段高くなっている円形の舞台に設置された巨大なオルガンじみた器械が、
その頂点に取りつけられた風車をゆっくりと回転させながら、先ほどから続いている魔界の組曲を吐き出していた。
不意に、音楽が止んだ。
オルガンのふもとに1つの椅子があった。
そこに1つの人影が座っていた。
その人物は、たった今まで人知を超えた楽器を奏でていたその両の手をオルガンの鍵盤から離すと、立ち上がって陽太の方を向いた。
その存在感に、陽太の意識から、このホール全体の風景が一瞬で押し退けられた。
不滅の輝きを帯びたプラチナブロンドの長い髪。
水銀色の銀河がきらびやかな文様を描く黒檀色のドレス。
精巧に作られた人形のごとき悪魔的美貌。
彼女(そう、それは女性に見えた)が口を開くと共に、響き渡る格調高い声が空間全体を満たした。
「わらわはS.ハルトシュラー。
世界を創りし者達の世界に在る魔王である」
「魔王だって?」
魔王。その言葉は、陽太が彼女に対して抱いた印象を的確に表していた。
世界の深淵に隠された不可思議な宮殿の主。強大で冒涜的な力を持つ神性。
陽太の言葉を無視して魔王は続けた。
「わらわは、お前達の世界を侵略する事にした。
次なる秋、わらわは恐るべき軍団を従え、
お前達の世界へと現れるだろう」
陽太の心臓は高鳴った。
世界を作りし者? 侵略?
この世界に何が起ころうとしている?
「で、そのお偉い魔王サマが俺に何の用だ?」
陽太は手に持った焼き串……もとい聖剣シークカバーブを魔王に向けながら言った。
魔王は自分に向けられたそれを、まるで何の興味もないかのように、ただ見た。
宇宙のように深く冷たい瞳で。
「わらわは知らせに来ただけだ。小さな勇者よ」
「俺が勇者に選ばれたって事か?」
魔王直々に出向いて来るとは、なんてふざけた態度だ。と陽太は思った。
なぜ自分が勇者に選ばれたのかという疑問は抱かなかったのは如何にも彼らしかった。
「“月下”、──神の理に叛く者とやらよ。
しかしその力がわらわの前でどれほどの役に立つと思うか?」
魔王の言葉と共に、陽太の武器は砕け散り、無数の熱い火花へと変わって弾けた。
陽太は驚いて火花を振り払った。右手を酷く火傷した事が感覚で分かった。
火花は線香花火のように宙を舞って消えた。
「次にわらわと相見えるまでに、
せいぜい己を鍛えておくがよい」
魔王は踵を返すと、火傷の痛みに手を押さえる陽太を尻目に、後ろへ去っていった。
「待て!」
陽太は叫んだ。
魔王の後を追いかけようとしたが、体が動かなかった。
足元はいつの間にか悪臭を放つ沼地へと変わり、柔らかい泥と腐った植物の蔓が両脚を捉えていた。
「せいぜいわらわの楽しみとなれるよう…」
閉幕
陽太の視界を黒いカーテンが遮った。
「…さもなくば祈るがよい。お前達の世界に、
わらわを止められる者がいる事を願って」
真っ暗な闇の中、魔王の言葉の響きと火傷の疼きのみが残った。
Fortsetzung Folgt...
登場キャラクター
最終更新:2019年04月25日 22:21