義宗廟
洛陽、
従善坊に位置した廟。
李弘の廟。李弘は
高宗と
武則天の子で、皇太子となったが急逝し、上元二年(675)孝敬皇帝と諡され、垂拱三年(687)妃の裴氏を追号して哀皇后とし、
恭陵に葬った。
中宗が復位すると廟号を義宗とした。しかし
姚崇・
宋璟の上奏により、即位していないため
太廟に列しなかった。開元七年(719)義宗廟を従善坊の来庭県廨に設置された。来庭県は当時廃止となっており、その官廨を利用して廟を建立したのである。しかし天宝年間(742-756)以後祭祀が行われず、大暦十四年(779)十二月、祭祀の実態がないとして神主(位牌)を廟に埋められた。
史料
『唐会要』巻十九 廟隸名額 孝敬皇帝廟
参考文献
徐松 撰、愛宕元 訳注『唐両京城坊攷 長安と洛陽(東洋文庫577)』(平凡社、1994年)
最終更新:2025年10月29日 16:19