李弘 りこう
652-675
初唐の皇太子。
高宗の第五皇子。母は
武則天。同母弟妹に章懐太子
李賢・
中宗・
睿宗・
安定思公主・
太平公主がいる。永徽四年(654)に代王に封ぜられ、顕慶元年(656)皇太子となる。上元二年(675)合璧宮の行幸に従ったが急死した。『新唐書』では武則天に鴆毒によって毒殺されたとする。孝敬皇帝と諡され、廟号は義宗である。
恭陵に葬られた。妃の裴氏(
裴居道の娘)は薨後に哀皇后に冊立された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
『新唐書』
巻八十一 列伝第六 三宗諸子 孝敬皇帝弘
『旧唐書』巻八十六 列伝第三十六 高宗中宗諸子 高宗諸子 孝敬皇帝弘
外部リンク
最終更新:2025年10月20日 23:46