符澈

符澈

778—845
中唐の武将。字は里仁。符璘の次男。符令奇の孫。邠寧節度使、河南節度使、太原尹北都留守検校兵部尚書、御史大夫を歴任し、琅琊郡開国侯に封ぜられ、食邑千戸を得た。会昌五年(845)八月卒。墓志は白敏中が撰した。

史料

「符澈墓誌」

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最終更新:2023年07月13日 10:56
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