符璘 ふりん
734-798
中唐の武将。字は元亮。魏博節度使
田悦の爪牙将。
符令奇の子。魏博節度使は朝廷に叛いて討伐軍を組織され、
馬燧に敗れると、父の命により朝廷に投降したが、父は田悦に処刑された。馬燧は符璘を副官に任命し、特進、義陽郡王となった。さらに検校左散騎常侍となった。馬燧の麾下として
李懐光討伐に参加。対吐蕃防衛に功績があり、輔国大将軍に任じられた。貞元十四年(798)
靖恭坊の自邸で卒。子に
符澈がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある他、
李宗閔撰・
柳公権篆額の「符璘碑(符公神道碑・越州都督刑部尚書符公神道碑とも)」にその事績がみられる。
列伝
外部リンク
最終更新:2025年08月22日 01:11