賈至
718-772
中唐の官人・詩人。
賈曾の子、
賈言忠の孫。字は幼鄰で、明経科に及第し、単父県尉となった。玄宗に従って蜀に行き、起居舎人・知制誥、中書舎人を歴任した。至徳元年(756)将軍の
王去栄が県令を殺害した事件で、粛宗は赦して陝州を防衛させようとしたが、賈至は強固にその有罪を主張したため、王去栄は死罪となった。房琯に与したため汝州刺史となったが、乾元二年(759)三月に九節度使の軍が
史思明に大敗したため、襄・鄧に逃れた。岳州司馬に左遷されたが、復職して尚書左丞となり、礼部侍郎、待制集賢院、兵部侍郎、京兆尹、右散騎常侍を歴任した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2023年07月29日 01:24