舒王李元名 りげんめい
624-690
初唐の宗室。
高祖の第十八皇子。母は小楊嬪。貞観五年(631)譙王に、貞観十一年(637)に舒王に封ぜられた。寿州刺史をはじめ、滑州・許州・鄭州刺史を歴任。石州刺史を二十年勤めた。さらに青州刺史、鄭州刺史となり、鄭州は洛陽に近く、諸王や貴族・外戚が横暴を働いていたから、これを取り締まった。滑州刺史に転任し、弘道元年(683)司空に任じられ(在任683-689)、永昌元年(689)司徒に任じられたが(在任689-690)、子の豫章王
李亶が誅殺されると連座して利州に流され、途上殺害された。子に鄅国公
李昭、豫章王李亶がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
『新唐書』
巻七十九 列伝第四 高祖諸子 舒王元名
『旧唐書』巻六十四 列伝第十四 高祖二十二子 舒王元名
外部リンク
最終更新:2024年10月20日 23:16