段子璋

段子璋

?-761
中唐の叛将。梓州刺史、もしくは東川節度副使。勇敢で玄宗が蜀に逃れるのに功があった。上元二年(761)四月、東川節度使の李奐が段子璋を更迭しようとしたため挙兵し、綿州を襲撃して李奐を追い出し、遂州を通過して、剌史の虢王李巨が出迎えたところを殺害した。李奐が敗れて成都に逃げると、梁王を自称し、黄龍と改元し、綿州を龍安府として百官を設置し、剣州を陥落させた。同年五月、西川節度使の崔光遠と東川節度使の李奐がともに綿州を攻撃し、陥落させて段子璋は斬られた。

本紀・列伝・史料

『新唐書』巻六 本紀第六 粛宗 上元二年四月壬午条、五月庚午条
『新唐書』巻一百四十一 列伝第六十六 崔光遠
『資治通鑑』巻二百二十二 唐紀三十八 粛宗 上元二年上元二年四月壬午条、五月庚子条

外部リンク

维基百科,自由的百科全书 段子璋(中文)
https://zh.wikipedia.org/zh-hans/%E6%AE%B5%E5%AD%90%E7%92%8B

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最終更新:2023年09月02日 22:02
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