嗣虢王李巨 りきょ
?-761
盛唐の宗室・武将。その世系は、
高祖→虢王
李鳳→李宏→嗣虢王
李邕→李巨。弟に
李承昭がいる。天宝五載(746)西河太守となったが、
柳勣の与党を援助したことが罪とされ、義陽司馬に貶され、
楊慎矜の客人
史敬忠とも親しかったから、連座して免官となった。安史の乱が勃発すると、
玄宗・
楊国忠から信認を得て、河南節度使を授けられた。嶺南節度使の
何履光・黔中節度使の
趙国珍・南陽節度使の
魯炅を統括下に置き、南陽を救援して
安禄山軍の進撃を挫いたが、河南尹・東畿採訪使を拝命すると、現地収奪に励んだから、罷免されて遂州刺史に貶された。
段子璋が叛き、遂州を通過するときに、出迎えて殺害された。子に
李則之がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
『新唐書』
巻七十九 列伝第四 高祖諸子 虢荘王鳳 巨
『旧唐書』巻一百一十二 列伝第六十二 李巨
外部リンク
最終更新:2024年10月20日 23:04