劉允済
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初唐の官人。字も允済。河南鞏の人。若くして父を失い、母に孝養を尽くした。文章が巧みで
王勃と名声を等しくした。進士に及第すると下邽県の尉、著作佐郎、左史、弘文館直学士、著作郎と累進したが、
来俊臣に貶められ、大庾県の尉に左遷された。復職して著作佐郎、修国史、鳳閣舎人となったが、
張易之・
張昌之兄弟と親しかったから、彼らの誅殺とともに青州長史に左遷された。呼び戻されて修学館学士に任命されたが、喜びのあまり痛飲して、それがもとで死んだ。著作に『魯後春秋』『劉允済集』がある。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2023年10月29日 10:29