于邵

于邵 うしょう

717-797
盛唐の官人。字は相門。京兆万年県の人。于皋謨の父。天宝年間(742-756)末、進士に及第し、崇文校書郎、比部郎中を歴任。巴州刺史の時、獠が反乱を起こしたが、防衛と説諭によって乱を平定した。兵部郎中となり、崔寧の上表によって度支副使となる。諌議大夫、知制誥、礼部侍郎に昇進し、三司使となって、薛邕の獄を治めたが、徳宗の信認を失い、桂州長史に左遷された。太子賓客となったが、宰相の陸贄と対立し、杭州刺史に左遷され、さらに病気で衢州別駕に貶され、江州に遷された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻二百三 列伝第一百二十八 文芸下 于邵
『旧唐書』巻一百三十七 列伝第八十七 于邵

外部リンク

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』于邵
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8E%E9%82%B5

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最終更新:2023年11月25日 00:38
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