庾承宣

庾承宣

?-835
中唐の官人・藩鎮。貞元八年(792)の進士で、同榜(同期)に韓愈李観李絳崔群王涯馮宿欧陽詹がおり、そのためこの同榜の者を「龍虎榜」と呼んだ。長慶二年(822)に尚書左丞から陝虢観察使となり、大和元年(827)吏部侍郎から京兆尹となり、御史大夫を兼任した。大和七年(833)太常卿となり、大和八年(834)太廟を修造した際に庾承宣を摂太尉とし、九室に告げて神主を便殿に移した。大和九年(835)天平軍節度使となるも卒した。

列伝・史料

『新唐書』巻二百三 列伝第一百二十八 文芸下 欧陽詹
『旧唐書』巻十六 本紀第十六 穆宗 長慶二年十一月丁巳朔
『旧唐書』巻十七上 本紀第十七上 文宗上 大和元年正月癸未条
『旧唐書』巻十七下 本紀第十七 大和七年二月己巳条、同八年正月丙寅、大和九年七月丁卯条

外部リンク

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最終更新:2023年11月28日 09:10
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