王旭

王旭 おうきょく

?-725
武周・盛唐の酷吏。王斉望の子、王崇基の孫、太宗の宰相王珪の曽孫。武周のときに兗州兵曹参軍となり、神龍元年(705)に張昌儀を誅殺して并州録事参軍となり、唐隆元年(710)に韋后が誅殺されると周仁軌を誅殺した。開元二年(714)左台侍御史となり、盧崇道が逃亡すると追跡して、本人とその三子を誅殺し、門人・友人も流罪とした。開元五年(717)左司郎中兼侍御史となり、その苛烈さから李嵩李全交とともに「京師三豹」と称された。剣南県令の収賄の取り調べで、その妻と関係をもって県令を殺し、財数百万を秘匿したから、その弟に訴えられて龍平県の尉に貶された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻二百九 列伝第一百三十四 酷吏 王旭
『旧唐書』巻一百八十六下 列伝第一百三十六下 酷吏下 王旭

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最終更新:2024年12月01日 22:28
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