羅希奭 らきせき
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盛唐の酷吏。もとは杭州の人で、後に洛陽に住んだ。鴻臚少卿
張博済の外甥で、官吏となった。天宝年間(742-756)初頭、
李林甫が
吉温を引き立てると、羅希奭が姻戚であったため、御史台主簿から殿中侍御史となり、
韋堅・
皇甫惟明・
李適之・
柳勣・
裴敦復・
李邕・
楊慎矜らの投獄と殺害に関与した。吉温と並んで「羅鉗吉網」と称された。天宝八載(749)刑部員外、郎中に任じられ、天宝十一載(752)に中部始安二太守、桂管経略使となる。天宝十四載(755)
張博済・吉温・
韋陟・
韋誡奢・
李従一が貶される途中、始安県によったから、滞在させたが、
蒋沇に取り調べさせ、吉温・韋陟・韋誡奢・李従一は杖殺された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2024年01月24日 10:02