李適之 りてきし
694-747
盛唐の宗室・宰相(在任742-746)。
李象の子。
李承乾の孫。
太宗の曾孫。初名は李昌。左衛郎将、通州刺史、秦州都督を歴任し、陜州刺史・河南尹となる。穀水・洛水の治水の功によって御史大夫に昇進した。開元二十七年(729)、幽州長史、幽州知節度事となる。父・祖父の名誉回復を果たし、刑部尚書に遷った。天宝元年(742)左相となり、清和県公に封ぜられた。酒を好んで
杜甫「飲中八仙」の中で、
李白・
賀知章・汝陽王
李璡・
崔宗之・
蘇晋・
張旭ともに飲中八仙に数えられた。宰相
李林甫と権力を巡って争って失脚し、天宝四載(746)宰相を罷免された。親しかった
韋堅の罪に連座して、宜春太守に貶された。韋堅を貶地で殺害した御史の
羅希奭が宜春を通過すると、恐れて服毒自殺した。子に
李霅・
李季卿がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2024年09月30日 20:46