嗣覃王嗣周
?-897
晩唐の宗室。嗣覃王。順宗の子の郯王
李経の後裔。景福二年(893)八月、京西面招討使に任じられたが、同年
李茂貞と戦って敗北した。乾寧四年(897)六月、李茂貞を剣南西川節度使とし、嗣覃王李嗣周を鳳翔隴右節度使とする任地替えが任命が行われたが、李茂貞は命を受けず、李嗣周は李茂貞と奉天で戦い、敗れた。同年八月、他の十六王とともに
韓建に殺害された。
本紀・史料
『新唐書』
巻十 本紀第十 昭宗 景福二年八月丙申条、同年九月壬午条、乾寧四年六月条、同年八月条
『資治通鑑』巻第二百六十一 唐紀七十七 昭宗上 乾寧四年六月乙卯条、同年八月条
外部リンク
最終更新:2024年01月08日 12:19