李璆

嗣沢王璆

?-747
盛唐の宗室。許王李素節の子。高宗の孫。儀鳳三年(679)に父が誅殺されると、子の瑛等九人はすべて誅殺されたが、ただ李琳李瓘・李璆・李欽古はまだ幼なかったので、長く雷州に幽閉された。中宗が復位すると後嗣がいなかった嗣沢王に封ぜられた。しかし李義珣が嗣沢王の本当の子であったことが判明し、降格されて郢国公、官宗正・光禄卿となったが、褒信郡王に封ぜられた。天宝年間(742-756)初頭、再度宗正卿を拝命した。宗室の子女に一善あって推薦しないことはなかったから、宗室で宮中にある者の多くは李璆を頼った。薨ずると、江陵郡大都督を贈位された。

列伝

『新唐書』巻八十一 列伝第六 三宗諸子 許王素節
『旧唐書』巻八十六 列伝第三十六 高宗中宗諸子 高宗諸子 許王素節

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最終更新:2024年01月15日 00:58
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