嗣沢王義珣
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盛唐の宗室。沢王
李上金の庶子。高宗の孫。父李上金が罪とされて自殺すると、七人の子は全員顕州に流刑となり、李義珣のみが生き残り、嶺南で雇われ人として生活した。神龍年間(705-707)初頭、李上金の官爵が戻されるとともに、李義珣は嗣沢王に封ぜられた。しかし李義珣を李上金の本当の子ではないと誣告する者がいたため、嶺南に流された。その間、嗣沢王は
李璆が封ぜられたが、
玉真公主が李義珣は本当に李上金の子であると上表したから、李璆の封爵を剥奪し、再度李義珣に嗣沢王を継承させ、率更令に任じられた。この後、宗室はもともとの襲爵ではなく、脇の血脈から嗣王を継承した場合、すべて本宗に帰させることとし、王封の大移動が行われた。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
『新唐書』
巻八十一 列伝第六 三宗諸子 沢王上金 義珣
『旧唐書』巻八十六 列伝第三十六 高宗中宗諸子 高宗諸子 沢王上金 義珣
外部リンク
最終更新:2024年01月15日 00:57