令狐綯 れいことう
802-879
中唐の宰相(在任850-859)。京兆・華原(陝西省銅川市)の人。字は子直。宰相
令狐楚の子。
令狐緒の弟。
令狐滈・
令狐渙・
令狐渢の父。830年の進士。弘文館校書郎、左拾遺、戸部員外郎、湖州刺史、知制誥などをへて、850年に戸部侍郎、兵部侍郎同中書門下平章事(宰相)にすすんだ。以後859年に宰相をやめるまで台閣にあって宣宗を補佐した。869年
龐勛の挙兵に対して徐州南面招討使として討伐に向かったが、龐勛の策略におちいって大敗した。晩年は鳳翔節度使であった。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
参考文献
『アジア歴史事典』9(平凡社,1962)
外部リンク
最終更新:2024年03月19日 01:34