令狐楚

令狐楚 れいこそ

766-837
中唐の宰相(在任819-820)。京兆華原(陝西省銅川市)の人。字は殼士。諡は文。初唐の名臣令狐徳棻の子孫と自称。791年の進士。若いころから文章に巧みで、とくに公式の上奏文中天子の命令書を執筆するのが得意であった。皇甫鎛李逢吉に引き立てられ、内外の要職を歴任し、とくに825年以降、宣武軍節度使として汴州の治安回復に功があった。835年左僕射にすすみ、彭陽郡開国公に封ぜられ、837年山南西道節度使として任地で没した。左僕射在任のおり、王涯の榷茶法(茶の専売)を廃止したことも有名である。『文集』100巻(逸)がある。ただし『文苑英華』などに二百数十編の作品を伝える。子に令狐緒令狐綯、弟に令狐定がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻一百六十六 列伝第九十一 令狐楚
『旧唐書』巻一百七十二 列伝第一百二十二 令狐楚

参考文献

『アジア歴史事典』9(平凡社,1962)

外部リンク

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』令狐楚
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%A4%E7%8B%90%E6%A5%9A

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最終更新:2024年06月12日 23:18
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