鄭余慶 ていよけい
746-820
中唐の宰相(在任798-800、805-806)。字は居業。滎陽鄭氏北祖第二房の出身。鄭慈明の子、鄭長裕の孫。鄭州滎陽県(河南省滎陽)の人。進士に及第し、貞元年間(785-805)初頭から庫部郎中、翰林学士、工部侍郎知吏部選を歴任。貞元十四年(798)、中書侍郎・同中書門下平章事(宰相)となった。同十六年(800)郴州司馬に貶された。順宗に尚書左丞として呼び戻され、憲宗が即位すると、永貞元年(805)同中書門下平章事(宰相)を拝命した。
滑渙およびその背後の宦官
劉光琦を責めたため、元和元年(806)宰相を罷免され、国子祭酒、吏部尚書に遷った。山南西道節度使、鳳翔節度使となった。再び太子少師となり、滎陽郡公に封ぜられ、穆宗が即位すると検校司徒を加えられた。卒すると太保を追贈され、諡を貞という。
鄭澣の父、
鄭処誨・
鄭従讜の祖父。
鄭珣瑜の従兄弟。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2024年03月19日 01:33