鄭珣瑜 ていしゅんゆ
738-805
中唐の宰相(在任803-805)。字は元伯。滎陽鄭氏北祖第二房の出身。鄭諒の子。鄭長裕の孫。宰相
鄭余慶の従兄弟。若くして父を失い、安史の乱に際して陸渾山に逃れた。大暦6年(771)に諷諌主文科に及第して大理評事を授けられ、陽翟県の丞、万年県の尉に任命された。
崔祐甫が宰相となると、左補闕に抜擢され、涇原帥府判官、侍御史・刑部員外郎を歴任。母の喪があけると吏部に遷り、奉先県令、饒州刺史、諌議大夫、吏部侍郎となった。河南尹としての実績を認められ、吏部侍郎から、大暦十九年(803)十二月に門下侍郎・同中書門下平章事(宰相)となった。貞元二十一年(805)順宗が即位すると、そこで吏部尚書に遷った。
王叔文の専制に憤って出仕せず、七月に宰相を罷免され、十月に卒した。子に文宗の宰相
鄭覃・宣宗の宰相
鄭朗がいる。『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2024年03月19日 01:30