論安
?-881
晩唐の武将。河東節度使の牙将。教練使。黄巣が長安を陥落させると、帝の詔により河東節度使から五千人を割いて
諸葛爽の指揮下に入れさせた。
李克用が隙をついて河東節度使を攻撃し、撤退したところを攻撃されて敗れると、節度使
鄭従讜によって百井に派遣されて備えとなったが、勝手に帰還したため、
鄭従讜によって斬られ、その一族は滅ぼされた。『新唐書』『旧唐書』『資治通鑑』の間で年代感が異なっているが、ここでは諸葛爽の傘下に入るところは『新唐書』に、無断帰還して斬られたところは『資治通鑑』によった。
列伝
最終更新:2024年02月04日 23:03