竇澣 とうかん
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晩唐の官人・駙馬・藩鎮。
穆宗皇女の
延安公主を娶り、駙馬となる。開成四年(839)
咸泰殿での観灯の際、延安公主の衣の裾が華美に大きく広かったため、質素な
文宗の怒りを買い、竇澣が二か月俸給剥奪となった。銀青光禄大夫、京兆尹、上柱国となり、岐山郡開国公、食邑三千戸に封ぜられていたが、乾符元年(874)検校戸部尚書、太原尹、北都留守、御史大夫、河東節度管内観察処置等使となる。さらに太原節度使となり、乾符五年(878)に都押衙の
康伝圭を派遣して河東の土団二千人を代州に駐屯させたが、軍乱が起きて馬歩軍使の鄧虔を殺害した。竇澣は軍中に入って安慰し、富戸から銭五万貫を借りて賞にあてた。そのため朝廷では竇澣には才幹なしとして、罷免した。
列伝・史料
『新唐書』
巻八十三 列伝第八 諸帝公主 穆宗八女 延安公主
『旧唐書』巻十七下 本紀第十七下 文宗下 開成四年正月丁卯条
『旧唐書』巻十九下 本紀第十九下 僖宗 乾符元年三月条、乾符五年春正月丁酉朔
外部リンク
最終更新:2025年01月13日 01:18