蕭至忠 しょうしちゅう
?-713
盛唐の宰相(任707-710、713)。蕭安節の子。蕭沈の孫。
蕭徳言の曾孫。沂州氶県の人。伊闕県・洛陽県の尉から、監察御史、吏部員外郎、御史中丞、吏部侍郎を歴任。皇太子
李重俊の叛乱において、相王(睿宗)に嫌疑がかかると、弁護し、中書侍郎、同中書門下平章事(宰相)を授けられた。侍中、中書令となり、対立する宰相間をとりもった。
韋后の縁戚であったが、唐隆元年(710)に韋后の変によって罷免されて、晋州刺史に左遷された。
太平公主に認められてその与党となり、先天二年(713)宰相に復帰するも、先天の変で太平公主に連座し、誅殺された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2024年04月16日 23:24