杜暹 とせん
?-740
盛唐の宰相(在任726-729)。濮州濮陽県の人。
杜承志の子。
杜孝友の父。
杜昱の異母兄。
杜鴻漸は族子(従兄弟
杜鵬挙の子)にあたる。明経化に及第し、婺州参軍、鄭県の尉、大理評事となり、開元四年(716)監察御史となって西域に赴任、母の喪に遭ったが奪服(服喪を終える前に官に呼び戻されること)されて、黄門侍郎兼安西副大都護となった。離反の動きを見せた于闐(ホータン)王を殺害、功績によって光禄大夫を加えられた。開元十四年(726)同中書門下平章事(宰相)に任じられて長安に呼び戻されたが、同じく宰相であった
李元紘と反りが合わず、玄宗の目の前でたびたび言い合いをしたから、傍観した宰相
源乾曜の三人もろとも罷免された。荊州都督長史、魏州刺史、太原尹を歴任、玄宗が太原に行幸すると戸部尚書に昇進して呼び戻され、礼部尚書に昇進し、魏県侯に封ぜられた。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2024年04月23日 15:54