賀瓌 がかい
858-919
唐末・五代の武将。字は光遠。濮州の人。鄆州節度使
朱宣の部将で、都指揮使となった。乾寧二年(895)
朱全忠が
朱瑾を兗州に攻撃すると、一万人とともに救援で派遣され、梁の補給路の寸断しようとしたが、
朱全忠に大敗して、降伏したが、他の三千人は殺害されるなか、ただ一人生かされて
朱全忠の部下となり、曹州刺史となった。梁が成立すると相州刺史となり、末帝の左龍虎統軍、宣義軍節度使となった。『旧五代史』『新五代史』にい伝がある。
列伝
『旧五代史』巻二十三 梁書二十三 列伝第十三 賀瓌
『新五代史』巻二十三 梁臣伝第十一 賀瓌
外部リンク
最終更新:2024年05月18日 18:30