王敬蕘 おうけいじょう
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唐末・五代の武将。潁州汝陰の人。潁州の牙将となり、唐末、
王仙芝らの侵攻を受けると潁州付近の刺史で防ぐことができるものがおらず、王敬蕘が刺史となった。潁州は淮西に近く、しばしば
秦宗権の攻撃を受けたが、防衛し、河南の諸州は陥落しながらも潁州のみは降らなかったから、付近の諸州の民は逃げ込み、潁州は二万戸の繁栄を誇った。乾寧四年(897)清口の戦いで
朱全忠軍が大敗し、潁州を通過すると、大雪となり、兵士は凍えたが、王敬蕘は薪を焚いて粥をつくって食べさせ、兵士はこれによって活力を取り戻した。朱全忠は武寧軍留後に任命し、節度使を拝命した。天祐三年(906)左衛上将軍となり、後梁が成立すると致仕した。『新五代史』に伝がある。
列伝
『新五代史』巻四十三 雑伝第三十一 王敬蕘
最終更新:2024年05月20日 12:37