秦宗権

秦宗権

?-889
唐末の武将・藩鎮・群雄・僭帝(在位885-889)。蔡州上蔡の人で、許州の牙将となった。黄巣の乱で頭角を現し、蔡州刺史を追放して自らその座についた。中和五年(885)皇帝を称し、各地に兵を派遣し、鹿晏弘を滅ぼし、洛陽をはじめ勢力を広げたが、兵士が飢えると村々から人間狩りを行い、人間を塩漬けにして積んだ車を数十台を食料として軍に同行させた。朱全忠と抗争して追い詰めたが、大軍を投入したにも関わらず決定的な勝利を得ることができず、朱全忠はかえって朱瑾朱宣と同盟して秦宗権を攻撃したため大敗した。寵愛した部下の申叢によって捕らえられ、朱全忠のもとに送られ、妻趙氏とともに長安で斬られた。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻二百二十五下 列伝第一百五十下 逆臣下 秦宗権
『旧唐書』巻二百下 列伝第一百五十下 秦宗権

外部リンク

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』秦宗権
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E5%AE%97%E6%A8%A9

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2023年06月04日 22:22
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。