危全諷 きぜんふう
?-909
唐末の群雄。字は上諌。
危仔倡の兄。臨川近郊で私兵をなし、
鍾伝の上奏で撫州刺史に任じられ、以後その死まで二十年にもわたって撫州を支配した。乾寧四年(897)
銭鏐に従い、
楊行密の部将
馬珣に撫州を襲撃されて逃走したが、すぐに撤退した。天復元年(901)鍾伝の攻撃を受けたが、講和してその軍門に入った。天裕六年(909)呉の攻撃を受けて支配を失った。『九国志』に伝がある。
史料
『九国志』巻二 呉臣伝 危全諷
外部リンク
最終更新:2025年01月24日 00:37