楊渥 ようあつ
886-908
五代十国、呉の2代王。字は承天。諡は威王、のち景王。廟号は烈祖。
楊行密の長子。生来暗愚にして部将を統治する能力をかき、
張顥・
徐温らに擁立されたのにもかかわらず、即位後2人に抵抗したため、逆に暗殺された。その間、呉は西方に発展し、湖北・江西をとり、時は岳州をも占領した。また揚子江デルタ地域の帰属争いも烈しく、呉越としばしば戦闘をまじえた。『旧五代史』に伝、『新五代史』に世家がある。
列伝
『旧五代史』巻一百三十四 僭偽列伝第一
楊行密 子渥
『新五代史』巻六十一 呉世家第一
楊行密 子渥
参考文献
『アジア歴史事典9』(平凡社、1962年4月)
外部リンク
最終更新:2024年05月23日 18:13