李神福

李神福 りしんふく

855-904
唐末の武将。楊行密の部将。洺州の人。高駢の軍に属して諸道行営都統となる。楊行密の将となり、光啓二年(886)廬州に行き、舒州を占領して都指揮使となった。大順二年(891)孫儒が侵攻してくると、溧水で迎撃し、弱兵にみせかけて夜襲して打ち破った。蔡儔が叛乱すると打ち破って功績があり舒州刺史となった。天復元年(901)銭鏐が盗賊に殺害されたとの伝聞により臨安を攻撃し、顧全武を捕虜としたが、誤報であることが判明して撤退した。昇州刺史、鄂岳行営招討使となる。杜洪攻撃のため鄂州を攻撃した。田頵が宣州で叛くと、討伐に派遣された。妻子が捕らえられて、叛乱に与するよう使者がやってきたが、使者を斬って全軍を発奮させ、田頵を敗死させた。寧国軍節度使に任じられた。『九国志』に伝がある。

史料

『九国志』巻一 呉臣伝 李神福

外部リンク

維基百科,自由的百科全書 李神福(中文)
https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E6%9D%8E%E7%A5%9E%E7%A6%8F

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最終更新:2024年05月24日 12:03
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