康承訓 こうしょうくん
809-874
晩唐の武将・藩鎮。字は敬辞。
康志睦の子。
康日知の孫。
康伝業の父。天徳軍防禦使となって党項(タングート)から防衛し、検校工部尚書、会稽県男となり、義武軍節度使に転じた。嶺西南道節度使に転じると、南詔対策のため邕州にて容管経略使を兼任し、諸軍行営兵馬となるも、たびたび敗れた。
龐勛の乱がおこると、咸通十年(869)検校尚書右僕射・義成軍節度使・徐泗行営都招討使に任命され、乱の鎮圧に大功をあげた。功によって検校左僕射・同中書門下平章事に任じられ、河東節度使となったが、宰相の
路巌・
韋保衡に誣告され蜀王傅、恩州司馬に貶された。『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2024年06月13日 23:45