李載義 りさいぎ
788-837
中唐の武将・藩鎮(第11代盧龍軍節度使)。本名は李再義。字は方穀。
李承乾の後裔であると自称した。盧龍節度使
劉済の部将で、牙中兵馬使となった。宝暦二年(826)
朱延嗣が盧龍節度使となると、朱延嗣と一族三百人を皆殺しにして、実権を掌握。盧龍軍節度使に任じられた。
李同捷の討伐に参加した。大和四年(830)、兵馬使の
楊志誠に追放され、長安に入朝すると、用いられて山南西道節度使、河東節度使となった。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2024年07月12日 01:53