李元平 りげんぺい
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中唐の官人・叛官。
李希烈の宰相(在任784-786)。宗室の末葉であったという。湖南観察使
蕭復の判官となり、大理評事となった。
李希烈が叛くと、
関播の推薦により、左補闕、検校吏部郎中、兼汝州別駕、知州事に任じられた。計略によって汝州は陥落して捕らえられ、李希烈によって御史中丞、さらに宰相に任じられた。説諭使としてやって来た
顔真卿を留めて最終的に死に追いやる契機をつくった。李希烈が死ぬと死罪を免れて珍州に流され、赦免により剡中に戻ったが、徳宗の知る所となり、怒りにふれて賀州に流されて死んだ。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2025年07月30日 00:29