陳行範 ちんこうはん
?-728
盛唐の人。瀧州の獠。開元十六年(728)に広州の獠の馮璘、何遊魯とともに叛乱をおこし、四十城あまりを陥落させ、陳行範は皇帝を自称し、何遊魯は定国大将軍、馮璘は南越王を自称し、嶺表を根拠として自立しようとはかったが、
楊思勗が桂州および嶺北近道の兵を集めて追悼を行ったため、瀧州で敗れて何遊魯・馮璘が捕虜となった。陳行範は雲際・盤遼の二洞に逃亡したが、追討されて捕らえられ、処刑された。この叛乱で斬首六万という結果になった。
本紀・列伝・史料
最終更新:2024年08月11日 22:36