陳行範

陳行範 ちんこうはん

?-728
盛唐の人。瀧州の獠。開元十六年(728)に広州の獠の馮璘、何遊魯とともに叛乱をおこし、四十城あまりを陥落させ、陳行範は皇帝を自称し、何遊魯は定国大将軍、馮璘は南越王を自称し、嶺表を根拠として自立しようとはかったが、楊思勗が桂州および嶺北近道の兵を集めて追悼を行ったため、瀧州で敗れて何遊魯・馮璘が捕虜となった。陳行範は雲際・盤遼の二洞に逃亡したが、追討されて捕らえられ、処刑された。この叛乱で斬首六万という結果になった。

本紀・列伝・史料

『新唐書』巻五 本紀第五 玄宗 開元十六年正月乙卯条
『新唐書』巻二百七 列伝第一百三十二 宦者上 楊思勗
『資治通鑑』巻二百一十三 唐紀二十九 玄宗中之上 開元十六年正月乙卯条、是歳条

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最終更新:2024年08月11日 22:36
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