劉希暹 りゅうきせん
?-770
中唐の宦官・武将。体躯優れ、騎射をよくした。
魚朝恩に用いられて神策都虞候となり、交河郡王に封ぜられた。魚朝恩の意によく従って暗躍し、太僕卿となった。北軍に獄を設置し、坊市の悪少年を用いて富裕層を誣告・投獄し、家財を没収して軍に編入した。そのためこの獄を「入地牢」と言った。また
賈明観を用いて疑獄事件を構えた。過失を
代宗に咎められ、連座で魚朝恩の韓軍容使が罷免されると、そのことによって代宗の魚朝恩排除の意図を知って、魚朝恩に報告した。充分な対応策をとられる前に魚朝恩が死ぬと、許されたものの、不遜な言動を
王駕鶴に密告され、誅殺された。『旧唐書』に伝がある。
列伝
『旧唐書』巻一百八十四 列伝第一百三十四 宦官
魚朝恩 劉希暹
外部リンク
最終更新:2024年08月17日 00:39