李豫
726-779
唐第11代(在位762-779)の皇帝。姓名は李豫。初名は李俶。諡は睿文孝武皇帝。廟号は代宗。
玄宗の嫡皇孫。
粛宗の長子。母は
章敬皇后。15才で広平郡王に封ぜられ、
安禄山の動乱にさいし、756年天下兵馬元帥となり、翌年
郭子儀らと両京を奪回するなど軍功に励んだ。758年皇太子となり、ついで父粛宗の死とともに即位した。ただちに子雍王李适(
徳宗)を天下兵馬元帥とし、ウイグルの援助をえて
史朝義を破り、また内廷に強権をふるっていた
李輔国を殺した。帝の治世中は一応安史の大乱こそおさめえたものの、全国的に節度使を中核とする分権体制への移行を座視するほかなく、吐蕃・ウイグルの進出にも妥協の政策をとり、また財政上でも、国初以来の租調役制の崩壊につれ、両税制にうつりゆく過渡的収税の出現をみた。中唐より五代にわたる藩鎮時代形成の大勢は、この時期に明確化したといえる。20人の男子があった。陵名は
元陵。
年号
広徳 763-764
永泰 765-766
大暦 766-779
后妃
子女
宰相
本紀
参考文献
『アジア歴史事典6』(平凡社,1960年)
外部リンク
最終更新:2025年06月24日 12:50