薛貽矩

薛貽矩 せついく

850-912
唐末・五代の官人。後梁の宰相(在任908-912)。薛廷望の子。薛存誠の孫。字は式瞻。乾符年間(874-879)進士に及第し、度支巡官、集賢校理、拾遺、殿中、起居舎人となり、翰林学士を拝命し、礼部員外郎、知制誥となった。乾寧年間(894-898)昭宗が石門に行幸したが、部下を失って行在に行くことができず、罷免されたが、かえって中書舎人に任じられた。戸部・兵部侍郎となる。昭宗が鳳翔から長安に帰還すると、宦官が一掃されたが、薛貽矩は韓全誨らのために画賛をつくって内侍省の壁にかけたから、これを罪とされて左遷された。朱全忠に接近し、朱全忠が皇帝となって後梁が成立すると、禅譲の使者となって朱全忠を称えた。開平二年(908)宰相となり、「上大梁新定格律奏」「大梁新定格式律令」の編纂にあたった。『旧五代史』『新五代史』に伝がある。

列伝

『旧五代史』巻十八 梁書十八 列伝第八 薛貽矩
『新五代史』巻三十五 唐六臣伝第二十三 薛貽矩

外部リンク

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2025年08月30日 00:26
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。