李程 りてい
766-842
中唐の宗室・藩鎮・宰相(在任824-827)。字は表臣。牛李の朋党では牛党に属した。その世系は太祖
李虎→
李亮→襄邑郡王
李神符→
李文暕→
李挺→李柏→李鷫→李程である。進士に及第し、さらに宏辞科にて賦「日五色」が激賞されて藍田県の尉に任じられた。監察御、翰林学士、司勲員外郎を歴任した。元和三年(808)随州刺史となり、成都少尹、兵部郎中、知制誥を歴任。御史中丞・鄂岳観察使となり、長慶四年(824)
敬宗が即位すると吏部侍郎、同中書門下平章事(宰相)となった。中書侍郎を加えられ、彭原郡公に進封した。宝暦二年(827)検校吏部尚書・同平章事となって宰相を罷免され、河東節度使、河中節度使に遷った。大和六年(832)尚書左僕射、検校司空に任じられたが、宣武軍節度使・山南東道節度使となった。子に
李廓がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2024年10月05日 01:59