陳君賞 ちんくんしょう
?-842
中唐の武将。
陳楚の子。金吾大将軍。大和九年(835)甘露の変に際して、鳳翔の軍権を握っていた
鄭注も殺害されたが、鳳翔の軍が蜂起して長安に迫ったと儀仗使の
田全操が騒ぎ立てたため、長安が騒動となったが、
望仙門を守って騒動を防いだ。開成元年(836)平盧軍節度使に任じられた。開成五年(840)易定節度使となったが、軍乱となって追放されたが、豪傑数百人を集めて再び入城し、乱を企てた兵士を全員誅殺して回復させた。
列伝・史料
『新唐書』
巻一百三十一 列伝第五十六 宗室宰相 李石
『旧唐書』巻十七下 本紀第十七下 文宗下 大和九年十二月癸未条、開成元年七月壬午条
『旧唐書』巻十八上 本紀第十八上 武宗 開成五年八月十七日条
最終更新:2024年10月06日 21:25