恭帝

恭帝

605-619
隋第3代の皇帝(在位617-618)。姓名楊侑。諡は恭帝。煬帝の子元徳太子昭の子、母は韋妃。607(大業3)年陳王にたてられ、のち代王に移り、615年太原太守を拝し、ついで長安に鎮した。617(大業13)年李淵(唐の高祖)が挙兵して長安を取ると、擁立されて即位し、翌年煬帝が江都(江蘇省揚州市)で宇文化及のために殺されるにおよび、李淵に迫られて位を譲り、都国公とされた。619(武徳2)年5月、15才で没し、後継者がないので族子の楊行基がついだ。

年号

義寧 617-618

本紀

『隋書』巻五 帝紀第五
『北史』巻十二 隋本紀下第十二

参考文献

『アジア歴史事典』3(平凡社,1960)

外部リンク

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』恭帝侑
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%AD%E5%B8%9D%E4%BE%91

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最終更新:2024年10月22日 23:52
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