雲定興 うんていこう
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隋の武将。もとは工匠であった。皇太子楊勇の後宮に娘が入って三子を産んだ。楊勇が殺されると宇文述と結び
煬帝に取り入った。大業十一年(615)左屯衛大将軍を授けられ、雁門で突厥に包囲された煬帝を救援した。この時、後の
太宗がその麾下にあって、彼の進言によって救援を果たしたという。
恭帝侗が
王世充に禅譲した際に、功績があったとされ、太尉となった。武徳四年(621)王世充が滅ぶと、唐に入り、右武衛大大将軍、帰徳公となった。孫に岐州刺史の雲弘嗣がいる。『隋書』『北史』に伝がある。
列伝
『隋書』巻六十一 列伝第二十六 宇文述 雲定興
『北史』巻七十九 列伝第六十七 宇文述 雲定興
外部リンク
最終更新:2024年11月06日 22:33