郜国公主

郜国公主 こうこくこうしゅ

?-790
中唐の公主。粛宗の皇女。母は不明。最初、延光公主に封ぜられ、虢国夫人の子の裴徽に嫁ぎ、裴液を生んだ。天宝十五載(756)馬嵬坡の変で裴徽が殺害されると蕭升に嫁いだ。貞元元年(785)に郜国公主に封ぜられ、蕭位・蕭佩・蕭儒・蕭偲の四男、順宗が皇太子の時の妃蕭氏を生んだ。蕭升が卒すると風紀が乱れ、彭州司馬の李万と関係を持ち、また蜀州別駕の蕭鼎らとも乱倫したため、徳宗の怒りを買い、他邸に幽閉され、李万は杖殺され、蕭鼎らは嶺表に流された。貞元四年(788)また巫蠱での呪詛で公主位を廃された。貞元六年(790)に薨去した。子の蕭位は巫蠱の呪詛に連座して端州に幽閉され、蕭佩・蕭儒・蕭偲は房州に捕らえら、裴液は錦州に流された。また蕭氏は殺害された。『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻八十三 列伝第八 諸帝公主 粛宗七女 郜国公主

外部リンク

維基百科,自由的百科全書 郜國公主(中文)
https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E9%83%9C%E5%9C%8B%E5%85%AC%E4%B8%BB

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最終更新:2024年03月22日 23:23
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