虢国夫人 かくこくふじん
?-756
盛唐の夫人。
楊玄琰の娘。
韓国夫人の妹。
秦国夫人・
楊貴妃の姉。裴璆に嫁ぎ、
裴徽を生んだ。妹楊貴妃が玄宗の寵愛を得ると、虢国夫人に封じられる。
楊国忠と密通し、出発するときは並んで騎乗し、互いにふざけ合って笑っていたが、恥じる様子はなかったという。
韓国夫人・虢国夫人・
秦国夫人・
楊銛・
楊錡は「五家」と称され、権勢を誇った。天宝十五載(756)に
安禄山の反乱軍が長安にせまると、
玄宗以下とともに西に逃れたが、
楊国忠・
楊貴妃が殺害されると、楊国忠の妻
裴柔らとともに陳倉に落ちのびていたが、陳倉令の
薛景仙は部下を率いてこれを追跡したから、馬をすてて林中に逃れ、二子を殺し、裴柔とその娘も刺殺し、自剄したが、死にきれずに捕らえられ、獄中で死んだ。
列伝
外部リンク
最終更新:2024年12月21日 20:49