達奚撫

達奚撫 たつけいぶ

748-805
盛唐の官人。字は沖師。達奚珣の子。父の命によって権臣楊国忠に子の落第を報告して罵倒された。大暦十四年(779)渾瑊の推挙によって左金吾衛大将軍となった。後に監察御史となり殿中侍御史、侍御史となった。都官員外郎となった。建中三年(782)淮西節度使の李希烈が反乱すると、渾瑊によって兵部郎中兼御史中丞、充支度営田副使に推挙・任命された。

史料

「唐故朝議郎使持節楚州諸軍事守楚州刺史充淮南営田副使本州団練使賜紫金魚袋達奚府君墓志銘並序」

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最終更新:2024年12月20日 23:11
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