鄭光

鄭光 ていこう

?-857
中唐の外戚・官人・藩鎮。潤州丹楊県の人。孝明鄭太后の弟。姉が後宮に入って憲宗のお手つきとなり、生んだ子が即位して宣宗となると、姉は皇太后に冊立されたから、にわかに高貴となり、皇帝の伯父となり、諸衛将軍を拝命した。大中元年(847)平盧軍節度使となり、検校工部尚書となった。大中四年(850)に鳳翔節度使となり、翌年河中節度使となった。妻を亡くし、妾が国夫人に封ぜられたが、宣宗の意図を理解して辞退したから、宣宗に喜ばれた。大中七年(853)長安に入って延英殿で宣宗と対面して政治を論じたが、卑近のことしか話さなかったから、節度使を解任され、二度と節度使に任命されることはなかった。大中十一年(857)卒。子に鄭漢璋鄭漢卿がいる。『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻二百六 列伝第一百三十一 外戚 鄭光

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最終更新:2024年12月22日 00:34
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