李忱
810-859
唐第19代の皇帝(在位846-859)。姓名は李忱。初めの名は怡。諡は国聖武献文孝皇帝。廟号は宣宗。
憲宗の第13子。
穆宗の弟。母は
孝明皇太后鄭氏。821年光王に封ぜられた。846年、
武宗が病んで死期に近づくと、宦官の左神策軍護軍中尉
馬元贄らが光王の擁立をはかり、皇太叔とされ、つづいて武宗のひつぎの前で即位した。帝は前代武宗の廃仏政策を撤回し、主謀の道士らを殺すとともに廃寺を復せしめ僧を度した。849年吐蕃の3州7関の来降をみ、ついで黄河以西の河湟の地を収復した。帝は内治にも努め「小太宗」と称されるほどであったが、国運の大勢をいかんともなしえず、晩年は道士軒轅集の言にまよい、長生をはかってかえって死をまねいたといわれる。宣宗が没すると、宦官
王宗実らは長子を擁立した。11人の男子があった。陵名は
貞陵。
年号
大中 847-859
后妃
元昭皇后(追贈)
呉昭儀
張婕妤
柳婕妤
梁美人
羅才人
史才人
長城郡夫人銭氏
武威郡夫人曹氏
南安郡夫人仇氏
陳氏
越女
子女
宰相
本紀
参考文献
『アジア歴史事典5』(平凡社、1960年)
外部リンク
最終更新:2025年06月24日 12:57